2011年2月26日(土)東京医科歯科大学 歯学部特別講堂にて、産業歯科保健部会・関東産業歯科保健部会 合同研修会が開催されました。参加者は産業歯科保健部会の歯科医師・歯科衛生士のみならず、顎関節症の診療・研究に積極的に関わっておられる歯科医師、産業衛生技術部会の方などを含め、43名の方にご参集いただき、講演の後、活発な質疑応答がなされました。
研修のメインテーマは「働く人の顎関節症」でありました。
まず顎関節症の臨床・研究をご専門とされる木野孔司先生より総論として顎関節症の病因・治療戦略の変遷、歯列接触癖(TCH)是正の重要性などについて大変判りやすい解説をいただきました。また、ご自身のグループの研究結果から、労働環境が顎関節症に影響している可能性についても言及していただきました。
次に実際に職域で顎関節症に取り組んでおられる澁谷智明先生、三村将文先生にお話をいただきました。
澁谷先生からは職域における疫学調査に関する研究結果のご紹介、職域でも行える顎関節症の痛みの管理や予防の実際、健診時の顎関節・咀嚼筋の問診事項への追加の必要性についてお話がありました。
三村先生からは、ブラキシズム・TCHを診査するポイント、ご自身が調査された顎関節症状に関連するアンケート調査の結果、VDT作業に関連した顎関節症の症状緩和のためのオリジナルのガイドラインについてのお話がありました。
最後に指定発言として、落合孝則先生(東京工業大学大学院、日本産業衛生学会:産業衛生技術部会・VDT作業研究会)よりお話をいただきました。
落合先生は、VDT作業による健康影響の解説、以前ご自身が経験されたVDT作業従事者の顎関節症に関わる事例の提示などがありました。また事例から学んだ教訓として、歯科医師、人間工学専門家、産業医の連携の必要性についてのご示唆をいただきました。
質疑では、TCHの詳細に関する質問・ご意見、メンタルヘルスと顎関節症との関係、VDT作業に関連した顎関節症についてのデータ構築の重要性、「産業保健の中心的考え方が、病気欠勤による労働効率の低下(Absenteeism)から、労働効率の低下する疾病就業(Presenteeism)にシフトしている事を考えると、顎関節症も含め、産業歯科保健の再構築が必要である」などの活発な質疑がなされました。講演の詳細は事後抄録をご参照下さい。
<事後抄録>
顎関節症の発症や症状維持における歯列接触癖の為害性
木野孔司 (東京医科歯科大学大学院 顎関節咬合学分野)
どうして顎関節症への治療は確実性がないとされているのかという問題に関して,われわれは咬合病因説へのとらわれがその原因であったと考えている.それに代わる多因子病因説について説明し,それらの寄与因子の中でも特に影響が大きく,多数の患者が保有していることからわれわれが重要と考えている,歯列接触癖(Tooth Contacting Habit (TCH))の為害性について報告した.このTCHの有無が,顎関節や咀嚼筋に不良な咬合の影響を及ぼすか否かを左右していたと考えている.したがってわれわれはこのTCHの診査および是正が顎関節症治療には必須であると考えており,その見いだし方,是正方法について解説した.
さらに,近年顎関節症が増加傾向にあると危惧しており,その原因を探るべく,都内と近県に工場を持つ企業従業員2723名に対する企業調査を実施した.2203名(80.9%)からの解答を分析した.ロジスティック回帰分析で,男性では不安感,疲労の持続感,TCH,あるいは起床時の疲労残存感を「いつも感じる」と解答した場合は,「全くない」と解答した場合に比べて,顎関節症の症状が存在する確率は2.4-3.5倍,女性では疲労持続感,起床時疲労感を「しばしば」あるいは「いつも」感じた場合は,顎関節症の症状を持つ確率が6-10倍に増加するという結果であった.この結果を受け,さらに共分散構造分析によって,関連性を探ったところ,労働状況の変化に伴う疲労の蓄積等が精神的な影響を強め,これによるTCHの長時間化や夜間ブラキシズムの増大といった形で,顎関節症の発症や症状維持に関係している可能性が示唆された.
VDT作業と顎関節・咀嚼筋の疼痛ートリガーポイントと関連痛についてー
澁谷智明 (日立横浜病院横浜診療所)
近年職域におけるIT化の急速な進展によってVDT作業の一般化とVDT機器使用者の増大が起こり、それに伴って心身の疲労を訴える就労者が増加してきている。その中で頭痛・肩や首のこりなど頭頚部の症状の訴えも多く、顎関節や咀嚼筋に疼痛がある者も含まれていると考えられる。実際我々や他の研究によって、就労者は一般集団よりも顎関節や咀嚼筋の疼痛が多いことを確認している。
顎関節や咀嚼筋自体に原因があることが多いが、他の頭頚部筋トリガーポイントからの関連痛である場合もある。また逆に咀嚼筋などが原因で頭痛が発症する可能性も考えられる。筋・筋膜トリガーポイントとは、圧迫されると疼痛が出現する筋肉内の硬い結節で関連痛を引き起こす。関連痛とは原因部位とは異なる部位に感じる疼痛である。顎関節へ関連痛を起こす筋には、胸鎖乳突筋・咬筋・内側翼突筋・外側翼突筋がある。
トリガーポイントの治療には物理療法、運動療法、筋・筋膜ストレッチやトリガーポイント注射などがある。
また職域においてもその予防・管理が可能で、健康教育として心身のリラクゼーション、睡眠なども含めた正しい生活指導やVDT作業教育など、作業管理・作業環境管理として職場巡視による人間工学的なアプローチなど産業医をはじめとする産業保健スタッフが行える予防管理法が多々ある。しかしながら健康診断において顎関節や咀嚼筋の調査・検査は含まれていたいため、問診項目への追加が望まれる。
事務系労働者の顎関節症状とその関連因子について
三村 将文 (カシオ計算機(株)カシオ本社診療所 歯科・東京医科歯科大学大学医歯学総合研究科顎顔面外科学・ 神奈川歯科大学咬み合わせリエゾン診療科)
事務系労働者は、顎関節周囲の違和感を主訴とする患者が比較的多く来院するように感じる。事務系単一事業所で、顎関節症状に関連するアンケート調査を行った結果では、「無意識な歯のくいしばり」「長時間開口できない人」「体調不良が多い人」に関連性をみとめた。また、都内の歯科開業医に通院している労働者では、「長時間開口できない人」と「会社の規模」に関連性があり、全体では「無意識な歯のくいしばり」「長時間開口できない人」の他に、「原因不明の症状がでやすい人」にも関連性があった。
診療室での対応は、通常のスプリント療法、理学療法の他に、VDTガイドラインや姿勢の指導も行っている。また、事務系労働者はVDT作業が多いため、人と接する機会が減少し、さらに、会社における人間関係による感情表現を抑制することも求められるため、表情筋を活性化させるようにも指導もしている。潜在的にTCHやブラキシズムの悪習癖を持っている人は、アンケート結果を踏まえ、定期健康診断などを利用して、早めに気付かせることが重要で、行動変容を起こさせることができれば、患者のQOLを向上させられ、生産性の向上にもつながると考えられる。
(文責:研修会座長 村松 淳)
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